正直今回もこれと言って書くことがないため、おじさんが嫌味ったらしい話を書くことにするんだが。
SAKAMOTO DAYS
はっきり言って好みの問題でしかないが、俺はこのマンガが嫌いである。主人公が殺し屋だからである。もちろん、『SAKAMOTO DAYS』以外でも作中で人が死ぬマンガはいくらでもあるのだが。この作品は登場人物のほぼ全員が安易に人間を殺す。序盤のコメディタッチで不殺の主人公をネタにしていた部分は面白かったが、それだけじゃ保たなかったんだろう。すぐにバトルマンガに切り替わった。
殺し屋バトルマンガで敵役が殺しをしないわけにいかない、という理屈はわかるが。作中で人間がごみのようにばんばん殺されていくのを見るのは、不快である。主人公がいくら不殺を貫いても、不快感が拭えない。
むしろ、敵役は自分の残虐さや強さを見せつけるために一般人をばんばん殺すのだが、主人公は不殺を貫くために相手を退治するだけで殺したりしない。つまり、一般人は何百人も死ぬが、強い敵は生き残るという構図になっており、どうしても気持ちが悪いのである。
主人公が活躍すればするほど、登場人物全員がこの作品世界から消え去る方が平和なんじゃないか、と思わせるマンガは作品として破綻していると俺は思う。あの残虐シーン満載の『チェーンソーマン』ですら、デンジの活躍を応援させるようなマンガであった。主人公ががんばってくれるから、この世界は救われるんだ、と応援できる内容にして欲しいんである。
すごいスマホ
設定はめちゃくちゃよかったと思うんである。現代人はほぼ全員が持っているスマホというデバイスで、そこからあらゆる情報を引き出せるというのは、いかにもありそうな設定である。自分だったらこう使う、というイメージもつきやすく、非常に優れたアイディアだと思うんである。
こういうマンガは「いかに難しいことをやるか」という頭脳戦だと思われがちだが。このネタが最高なのは「こんな便利なガジェットがあるなら、なんでもできるじゃん」と「この制限だと難しいよね」を都合よく設定できることである。
はっきり言って、デスノートの使い勝手は最悪だから、好きな展開を書こうとしても読者に納得させるのがめちゃくちゃ難しい。すごいスマホはすごいために「すごいから、こうやったんだ」で簡単に納得させられるし、「所詮スマホだから、ここで失敗したんだ」で容易に理解を得られる。このネタはめちゃくちゃ当たりだと俺は思う。
で、このマンガの残念なところは「頭脳戦をやろうとしちゃってること」と「登場人物の魅力が0なこと」だと思うんである。
はっきり言って、この世にないガジェットで本物の頭脳戦をすることは不可能である。なんでもありだからである。どこまでいっても、それっぽいものにしかならない。50%納得できればいいものを、80%くらいまで納得させようと展開や説明を練るのは無駄である。読者が見たいのは「主人公の活躍」であって、「筋の通った説明」なんかではない。適当にそれっぽいことを書いておけばよく、思考や説明に割くページは無駄なんである。
『ドクターストーン』なんか典型だろう。あんな簡単に実験も設備も作れるわけないが、そんなことは全然構わずに読者は楽しんでいる。何故か、本質的に原始社会で文明を起こすことなんか不可能なのだから、その上でちょっとしたご都合展開があってもツッコむ方が野暮なんである。すごいスマホも同じである。すごいスマホなんかないんだから、いかに気持ちよく読ませるか。こっちの方が大事である。
登場人物の魅力も限りなく0に近い。まずもって主人公に特色がなく、あまりにもできすぎるために、面白みがない。身も蓋もないことを言うと、この世の大半の人間は優等生も頭の良いやつも嫌いである。優等生が何故優等生でいられるかというと、優等生でいることに不快感も抵抗も努力もいらないからである。たいていの人間は普通に生きているだけでは優等生ではいられない。自分が努力してなるものに、生まれついてなっている人間を、人間は疎ましく思う。頭の良い人間というのも同じである。
『デスノート』の夜神月が主人公の癖にあからさまに悪役なのは、あの設定ではどう考えても好かれないからだと思うんである。優等生に設定しても嫌われて終わるんであれば、最初っから振り切って嫌味に描いた方が好かれる。
欠点が必要なんである。誰がどう見てもわかる欠点で、それが主人公を人間らしくする。例えば、弟が失踪した反動で、自分より背が低い相手を見ると誰彼なく抱きついちゃうとか。弟っぽい目撃情報があったところに必ず行ってみるせいで、交通費が必要で、めちゃくちゃドケチだとか。できたら設定に絡む形で、あからさまな弱点が欲しい。そういうのがないと、俺は主人公を好きになれない。
今から主人公の性格をいじるのは無理だから、ぜひとも魅力的なライバルキャラを出して欲しい。今出ている金持ちぼんぼんの小悪党を瞬殺して、颯爽登場するかっこいいライバルキャラである。かっこいいライバルが出れば、それに対抗する主人公の人気だって上がる。いきなりの急展開で読みたくなること請け合いだから、ぜひライバルキャラである。
逃げ上手の若君
ものすごいマンガだと思うんである。何がすごいのかといって、取り立てて物語がない。歴史上の事実だから、先のことが全部わかっている。キャラも魅力的とまではいえない。突出したポイントが一切ない。なのに、読ませてしまう。
『ネウロ』は複数話かけて謎を解くミステリーに癖の強いキャラクターを合わせることで、面白さが周期的に波のように訪れるマンガだった。『暗殺教室』は次々に新展開を打ち出していって、特別の面白さはないけど、テンポよく駆け抜けることで見事に終わりきったマンガだったと思うんである。
『逃げ上手の若君』は『ネウロ』で培った「ここぞという時に癖の強い絵を出すことで注目度をコントロールする」やり方と、『暗殺教室』のテンポをコントロールする技術によって、マンガを読ませる力がものすごく鍛え上げられたんだと思うんである。
何がすごいって、これは才能ではなく努力の結果、身につけた技術だってことである。技術には再現性があり、同じことを何度でも繰り返すことができる。こんな器用なことができるんであれば、こんなマイナーすぎる題材を選ぶ必然性は皆無であり、もっと違ったジャンルにすることでもっと上位の人気を獲得することもできただろう。同じ歴史ものだって戦国時代の方が百倍人気が出たであろうことは間違いない。にも関わらず、この題材なんである。
おそらく「逃げる」ということ自体が伝えたいテーマであり、それをただ実在しないファンタジーをネタにして書くと「現実に意味のある価値観」として伝わらない。史実になぞって表すことで、「逃げることに現実的な価値や意味があるんだ」ということを伝えたいがために、史実を題材に選び、それをどうにか連載するために、培った技術を総動員しているんだろう。
これはお米が大好きな人がお米の良さを伝えるために、あえてミシュラン三つ星みたいな技術でおにぎりを握っている、みたいな話であって。豪華で贅沢な話だと思うんである。そこまでして逃げ続けることをテーマに掲げる執念が、俺にはわからん。わからんが、わからんからこそ、すごみを感じるんである。
コメント