公式HP:https://yesterdaymovie.jp/
上映日:2019年10月11日
製作国:イギリス
上映時間:112分
視聴:2019/11/1
あらすじ
夢見るバンドマンが事故から目を覚ますと、そこは「ビートルズのいない世界」だった。
他人の音楽で認められることのやましさ、むなしさを抱えながら、地位を築く。
「ビートルズ」が認められるほど幼馴染とは距離が離れ、ついには決別してしまう。
失意の末に出会った「この世界のジョン・レノン」に背中を押された主人公は、
ついに「ビートルズ」を自ら手放し、幼馴染の心を取り戻す。
個人的な感想
恋愛関係
主人公ジャックは不器用な男だ。根が小心者で真面目だから、音楽家として成功しない。一度は音楽教師の職に就いた男が、わざわざ音楽の道に戻ったのは、幼馴染の年下の少女に強く背中を押されたからだ。音楽家になりたいというより、好きな女の期待に応えたいという想いの方が強かったろう。
自分で自分の期待に応えることは、ある意味では楽だ。極端に言えば、自己満足した瞬間に欲求は満たされる。他者は自分ではないから、その期待に応えることは難しい。何をして応えたことになるのか、わからないからだ。わからないなら客観的指標に頼るしかなく、それは大勢の他者から認められる、権威ある他者から認められることが必要になる。ジャックが女の期待に応えようと思えば「世間的に認められる音楽家」になるしかなく、それは果てしなく難しいゲームになる。
「ビートルズ」が売れた時点で、ジャックはこの条件を満たす。ジャックは自分の中で改めて女に告白する権利を得る。実際、ジャックは何度も告白を試みるが、結果として口に出すことをしない。何故か。誰あろう。ジャックの中では「世間的に認められる音楽家」はビートルズであり、自分だけは「世間的に認められる音楽家」がジャックでないことを知っているからだ。
これは綺麗事ではない。ジャックにとって「世間的に認められる音楽家」になることで「女に告白する」ことはルールであり、そのために人生を捧げている。ルール違反をするのなら、そもそもが音楽家など目指さず、音楽教師のまま告白し、結婚していればよかったのである。それを排して音楽にかけたのだから、ここまで来てルールを破ることはこれまでの人生を捨てるのと同じだからである。
同時に、ヒロインであるエリーは複雑な女性だ。彼女は明らかにジャックに好意を持っている。ジャックが自分に好意を持っていることにも気が付いている。ジャックが人生を棒に振ってまで音楽家を目指すことは、それそのまま自分への愛情表現だとわかっていただろう。貴重な時間と人生を捧げているのは自分が引き留めているからであり、自分を愛しているからだと認識していたろう。彼女にとって音楽家を目指すジャックを支えることで、関係性は完成していたのだと思う。
そのジャックが実際に売れてしまった時、その完成していたはずの関係性が破綻する。音楽に捧げた時間と人生はそのまま彼女への愛であった。そのはずだったのに、成功してしまうと、その時間と人生は音楽家として成功するために必要な代償であるということになる。これまで受け取った膨大な愛情が反転し、ただのマネージャーと音楽家に引き戻される。
だから、彼女は焦る。これまでは無意識的に避けていた「愛する女」という明確な関係性を口にし、わざわざホテルまで会いに行って体を使った誘惑をし、最後には別の男を作って気を引こうとまでする。ジャックが音楽より自分を取れば、これまで支払われてきた膨大な時間と人生の、さらに上を行く愛情を注がれていると認識できるからだ。
最終的に、ジャックは自分が手にした借り物の音楽を捨てることで、エリーを手に入れることができる。ジョンに会うことで、ジャックは他人の欲求を満たすのではなく、自己の欲求を満たすことを学んでいる。自らの罪を告白することで精神的な清算を果たし、偉大な決断を経たことで自己の欲求を満たすことができた彼は、ようやっとエリーに告白する権利を得る。
おりしもエリーは自分を手に入れるために、ジャックが偉大な音楽家としての立場を捨ててくれたことで、愛情を受け取ることができるようになった。どれだけのものを捨てるか、が、愛情のはかりになったエリーにとって、過去に望んだものを捨て去ったことは最大の愛情表現に見えたろう。
おそらく、ジャックにもう少し自信があれば、音楽家など目指さずに、音楽教師のままプロポーズしていただろう。エリーも少しは渋っても、すぐに了承しただろうと思われる。結局、エリーは自身を強く求めてくれる男を探していたのであって、それが強引なアプローチであったとしても代替できたろうからだ。
物語全体を通して、ジャックがしたことは借り物の音楽を手に入れ、それを捨てるということで、何ら変わっていない。手にした武器を捨てることで心理的な成長を遂げたとは言えるが、状況としては、適切な状態に戻っただけなのだと言える。つまり、何一つ変わらなかったとしても二人は結ばれる条件にあった。異界に転じたことで得た力を、同じポジションに戻ってくることで成長を遂げるというのは、生きて帰りし物語の類型としては面白いのかもしれない。
ロッキー
空気の読めない、怠惰で、頭の悪い男、ロッキー。仲間内に一人はいるけれど、どこかみんなに馬鹿にされている。そういう立場の男がロッキーだ。
たまたま暇だった男がロッキーだけだったために、ジャックは彼を付き人に連れていく。どんな時でもそばにいて、ジャックの苦悩は関係なしに過ごしている。
そういう男が、最後の最後で一番重要な役目を果たしている。罪の告白をする場面を作り、アップロードの引き金を引き、足止めまでする。
全く頭が悪いから、それが何を引き起こすのかわからなかったのか。あるいは、わかっていても、頭が悪い故に、友情を優先したのか。どちらとも取れるロッキーは、しかし、最後の場面でもカメラに映る。ジャックとエリーと子どもたち、そのかたわらには居候の親戚のようにして、ロッキーが座っている。
他の友人らと比べても友情や愛情が強かったようには思われないのだが。時間を共有する、同じ船に乗るという行為の重要性がことほど強いという描き方にリアリティを感じる。遠くの親戚より近くの他人、というと違うが。ジャックにもエリーにもより親しい友人がいたろうけれど、そこにいてくれたのはロッキーだった、というのが大きなファクターになる。それが人生であるというように思える。
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