『スタードライバー』が好きだ、という話をしたい。先日ガンダムネタでバズって、ガンダム記事を書いたが。俺が一番好きなロボットアニメは『スタードライバー』である。「スタードライバーってなんだっけ?」という人には「銀河美少年が出てくるアニメです」というと通りがよかろう。
『スタードライバー』は面白い。何が面白いかというと、あらゆることが根性でまかり通るからである。『スタードライバー』の世界で最も重要なことは欲望である。自分自身の欲望に忠実な人間ほど強くなる。それが『スタードライバー』の世界である。
これは漠然とロボットものとしてのセオリーとしてそうしているのではなく、作中の設定がそうなんである。かの世界では宇宙から与えられたと思しきロボットが使用されており、このロボットはどうもリビドー、人間の精神エネルギーを動力としている。
だから、より強い精神力、誰よりも強い願望を持った人間ほど強くなる。『スタードライバー』のロボットは搭乗者とリンクし、搭乗していない際でも能力を発言させるから、願望の強い人間は常時強いということになるんである。
物語より美学を優先した『グレンラガン』
ここまでの設定を読んで、『グレンラガン』と同じじゃないかと思った人がいるかもしれない。基本のコンセプトにおいて『スタードライバー』と『グレンラガン』には近いものがある、と俺は思う。精神力で理不尽を解決し、世界を救うという骨子は同じである。
だったら、『グレンラガン』は好きなのか。俺は『グレンラガン』が九割五分好きだが、どうにも好きになりきれない要因がある。ニアが救われなかったことである。道理をねじ曲げ、根性で何事も貫き通す。それが『グレンラガン』だったはずなのに、何故か最後の最後でわがままを押し通さない。「大人」になる。
そもそも『グレンラガン』の根底にあったのは進歩することへの無限の肯定であり、ある問題が出てきた時に止まったり下がったりするのではなく、さらなる進歩で問題を解決していく。それが人間という種族のあり方である、というのが『グレンラガン』の提示した物語性だと思うんである。
そのテーマに沿って言うなら、主人公シモンの最愛の人がさらわれ、消し去られた際に、何故そのまま消えるに任せたのか。それを肯定する形で物語を終わらせたのか。『グレンラガン』におけるドリルというのは二重螺旋の遺伝子のメタファーだが、最後の最後になって主人公とヒロインの遺伝子が途絶える。カミナ、シモン、ヨーコ、最初の三人の遺伝子は次代のどこにも受け継がれずに終わる、という結末はいかにも本末転倒に思える。
こう言ってはなんだが、その結末は制作陣が「作品の物語性」よりも「男の美学」を優先した結果に思えてならない。本当にかっこいい男というのはやることをやった後、自身の利益を顧みず、黙って去っていくものである。そういう哲学を感じる。
その美学が二十何話もかけてきた物語と合致していたかどうか。本当に顧みたのだろうか。消えゆくニアを見送ったシモンは、最初の村で「余計なことをするな」とやりたいことを我慢させる長老たちと同じではないのか。無茶だろうと、道理が許さなかろうと、守りたい人を守るという方が、『グレンラガン』の物語としてあっていた、と俺は思うんである。
最後まで願望を肯定した『スタードライバー』
『スタードライバー』が素晴らしいのは、この「欲望に忠実である」という部分なんである。『スタードライバー』は終始ドロドロとした恋愛模様が描かれて、さわやかな展開とは言い難い。登場人物が暗い内面をさらけ出した後、主人公が底抜けの明るさと根性で全てを終わらせる。そういう展開が半ばお約束のように繰り返される。
一見すると主人公だけは含むところのない、さわやかな青年に見えるのだが。最後まで見通してみると、最も強く、誰よりもやりたいことのはっきりしている主人公は、実はそこまでに出てきた登場人物たちの誰よりも欲望に忠実であり、その願望によって、めちゃくちゃに強かったということがわかってくる。
そこにはシモンのように願望を最後のところでストップして、ほどほどの「大人」になってしまう部分がない。そこには子供のように素直な気持ちで自身の欲求を肯定する姿があり、これこそがアニメとしてあるべき姿だ、と俺は思うんである。
「欲望を肯定するストーリーが素晴らしい」というのは個人的感想としてある。さわやかにしか見えず、実際のところさわやかでありながら、さわやかであるということが欲望の一形態であるという内容も大好きだ。
こう書くとまるで主人公がド変態のように思われるかもしれないが、俺はド変態だと思っている。やきもきする少女マンガのような三角関係が大好きで、その状態を維持したい。この願望を主人公とヒロインの両方で共有している。作中では「異性から愛されたい」とか「永遠に若くてかっこいい俺でいたい」というわかりやすいキャラも出てくるのだが、その中でも主人公チームの願望がとびきり変態性が高い。それ故に強いという結論が、俺は大好きだ。
だが、そういった好みとしての感想以上に「最初から最後まで首尾一貫したテーマを持っており、そのテーマに沿ったストーリーが最後まで描かれる」ということが素晴らしい。
〆
「おまえは何かをけなさないと、何かをほめられないのか?」と思われていそうだが。何を見ても何かを思い出す、というように、オタクは無限に作品を見ているから、どうしても作品に対する感想は過去の何かとの比較になってしまう。「最初の一本目はなんでも傑作だ」という裏返しのようなものだろう。
特に『グレンラガン』と『スタードライバー』のテーマはかなり近いから、どうしても作品として比べてしまう。『グレンラガン』を見終わった後のもやもやとした気持ちが、『スタードライバー』を見終わった後にすっきりとした。やっぱりアニメはこうじゃなくちゃいけないよな、と思った。そういう素直な気持ちの発露だと思って欲しい。
コメント