今週の『PPPPPP』は素晴らしかった。正確に言えば、ここ何週かの『PPPPPP』はずっと素晴らしい。
ソラチカは「不信感なんて言葉だけでファンタのファンタジーを理解するなんて失礼だ」と言っていたが。そのファンタが築いてきた十年間が語られる回で、心の底から共感できるエピソードだった。一番悲劇的なのはファンタがとても家族想いで、賢く、境遇や立場も理解できるだけの頭脳を持っていたことなんだろう。
ファンタはラッキーが父親に捨てられたことを理解しているし、それに同情を示してもいる。突如として、そんな結論に至るわけはないのだから、おそらく、内心ではずっと抱いていた感情なのだろう。怒りでバトルを挑んだことは間違いだった、と言うが。そもそも企画を提案したのはメロリンであり、ファンタがバトルを父親に提案しなければラッキーはすぐに追放されていただろう。そう思えば、音上ブランドにこだわってバトルを挑んだ、というのはメロリンに乗っかって父親に口実を与え、その内実はラッキーを守るためだったように思える。
ファンタは「手加減するな」と念押しをしている。ラッキーが十年前のファンタ、十年前の兄弟たちの姿ばかりを追い求めて、今現在の姿を見ようとしない。一方的に優しさを押し付けてくることに閉口していたのは事実であるように思える。ラッキーの見せた現実、帰りの電車に母親を見せた時、「わざとやっているのか」と苛立っているのだから、そうなのだろう。ただ、その苛立ちを抱えた上で、なおラッキーに万全の力を発揮できる状況を整え、後押しをするくらいに、ファンタはラッキーを思ってくれている。ラッキーの現実を味わって苛立った後でも、そのことについて怒りを表明したりもしない。むしろ謝罪する。どこまでも度量が広いのである。
今思えば、天才ラッキーがつぶやいた「優しい人間などいなくても、優しいことはできる」というセリフは、ソラチカに対してのものであり、かつ、ファンタにも向けられたものだったんだろう。ソラチカもファンタも利己的な面はあり、自分自身のエゴを優先する音上の特徴を色濃く持っているが。だからといって、優しいことをしないわけではない。
そのファンタが母親だけは許せずにいる。客にも兄弟にも懐の深い対応のできるファンタが、唯一母親にだけは怒りを隠さない。それをファンタ自身が「わがまま」と評しているのが、ものすごく重い事実だと思うんである。ファンタは全部わかっている。父親がラッキーだけを除け者にする以上、誰かがかばってやらなければいけなかった。母親が助けて、守ってやるのは致し方ないことだ。それをわかっている。自分が母親に会えば、その怒りが溶ける可能性はある。むしろありし日の愛情が未だに自分の中に残っていることを確信しているのだろう。
ただし、会ってしまえば全てを許せるかもしれないが。終わってしまえば、それでも選ばれたのはラッキーだったという事実をもう一度味わうことになる。それもよくわかっている。何度でも会えるのなら、その事実を薄れさせることはできるかもしれないが。死に際の数回であるのなら、その機会が呪いのようになって、自分を蝕むこともわかっているのだろう。
ファンタは母親から別れた十年の努力と経験を守るために、母親に会うことができない。母親がファンタに会いたがっていることは明確で、おそらくそれをファンタも理解している。どれだけ母親がそれを望んでいたとしても、死を覚悟して、もう二度会えないと母親が理解していたとしても、ファンタは会わない。これまでの十年をなかったことにしたくないから。折れるべきは自分なのだ、とファンタはわかっているから、「わがまま」だと言っている。
人間がわがままを言える相手というのは、その相手に心から愛情を抱いている時だけだ、と俺は思うんである。こんなことをしても怒られない、許してくれる。そう思えるから、わがままを言える。ファンタにとって母親は、わがままを言える相手なのである。愛しているからわがままを言えるし、愛しているから二度と会わないという選択ができる。
ファンタには本当に幸せになって欲しいのだが。他人を芯から信じないことで自身を作り上げてきた人間が、一体何をどうしたら幸せになれるのか。見当もつかない。天真爛漫、純粋無垢な人間であれば、不信感を抱かずに済む可能性はあるが。何が悲しいと言って、作中で最もそれに当てはまる人間はミーミンであり、ファンタは耐性を持ってしまっている。その上、ミーミンは既に音上の家を出ているので、本当に純真な人間は裏切る気もないのに裏切るようなことをしてくる、ということをファンタは学習してしまっているんである。
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