たった30分で胃に来る映画『隔たる世界の二人』

 NetFlixにあった『隔たる世界の二人』という映画を見た。俺は新年から毎週一本の映画を見ることにしているんである。何故か、高尚な人間になった気がするからである。チェックリストを埋めるようにして、何かをした気になる行為を一個ずつつぶすことで、コロナで何もできないという無為の時間を埋めるためである。そんなことはよい。

 どういう映画かというと、アメリカに住む黒人が女の子と一夜を共にする。可愛いし、付き合いたい。相手も好感触だ。朝食に誘われたが、とりあえず、犬が心配だから帰ることにする。また電話をしてもいいか。そんな会話をして、部屋を出る。タバコを吸いながら道を歩いていると、警官に声をかけられる。何のタバコだ、麻薬じゃないのか。そんな疑いがエスカレートしていき、何もしていないのに、殺される。

 と、次の瞬間に主人公は女の子のベッドに逆戻りしている。そう、これはループものなのである。白人警官に難癖をつけられて殺される。この運命を何度も何度も繰り返して、生き延びる道を探す。そういう映画なんである。

 俺は正直、この映画を「30分で終わるからちょうどいい」と思って見始めた。毎週一本の映画という自身が課したノルマを如何にしてくぐるか、という馬鹿みたいな発想から、この映画を選んだのだが。これがミラクルヒットだった。

 「黒人というだけで差別を受ける」「何もしていないのに、難癖をつけられて殺される」というのは、アメリカにおけるリアルな世界だ、とこの映画は言っている。何十回も同じことを繰り返しても、絶対に死んでしまう。殺されてしまう。それはアメリカという国に悪意があって、それを意思として掲げているからだ、と言いたいんだろう。

 そして、多くの黒人は今もループもののように不可避のトラップを潜り抜けて生活をしている。今この瞬間はまだしも生きているが、どこかでトラップに足をひっかけ、死んでしまうことになる。そういう世界なんだ、というメッセージなんである。

 そう、一見するとトリッキーな仕掛けに思えるループものという設定が「どうあがいても逃れられないアメリカの現実」というテーマを絶妙に重ね合わせる舞台装置として機能しているんである。

 俺はアメリカにも住んでいないし、黒人でもないから、この感触を理解できるとは到底言えない。環境も価値観も違う場所の人間でありながら、映像を通して、その絶望感やテーマを痛烈に突き付けてくるから、映画というのはすごい。

 「こんなの無理ゲーだろ」と思わず言いたくなる。そのゲーム感覚でいいから共感して欲しい。ゲームのようにチープなループという装置を使うことで、どれだけ悲惨な状況なのかを肌身に感じて欲しい。そういう演出だろうし、俺はまさにゲーマーとして体感してしまった。実にうまい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました